Loading...

MONTHLY COLUMN

Press release


2021.05.10

量子線を使った育種への期待

量子線を使った育種への期待

茨城大学農学部 久保山 勉

 私達が日常的に食べている作物は突然変異体だというと意外に思う人もいるかもしれません。野生の植物は脱粒性があり、稔った種が落下してしまうため、収穫できる割合が少なくなります。また、休眠性が強いと播種しても発芽しなかったり、発芽の時期がばらついて収穫の時期も個体ごとにずれてしまいます。作物の多くは、人が植物を栽培化する過程で、脱粒性や休眠性に必要な遺伝子が変異したものを選抜した突然変異系統であると言えます。

 この例の最たるものはトウモロコシで、栽培化される前の祖先種をめぐって大きな論争が起きたほど、祖先種のテオシントとトウモロコシには形態的に大きな違いが見られます。ただ、今では種子の殻の有無、分枝、穂軸の条性のような大きな形態的な違いも5つ程度の遺伝子の変異によって生じたことが明らかにされています。身近なところでは、多くの人がお正月に食べるお餅の原料となるモチ米も顆粒性デンプン合成酵素遺伝子が変異して機能を失ったモチ品種から収穫されたものです。また、私達がスーパーや青果店で目にするトウモロコシもデンプン合成系遺伝子の変異により糖が蓄積し甘味を持つようになった品種です。このように、農業はその最初から遺伝変異というものを利用し発展してきた営みだと言えます。

 今でも、品種改良(育種)は様々な遺伝変異を利用して行われています。このような遺伝変異を得るには2つの方法があります。

 一つは、近縁野生種や在来種が持つ遺伝的多様性を利用する方法です。生物の中では常に様々な要因によってDNAの損傷が起きていますが強力なDNA修復機構によってほとんどは修復されてしまいます。それでも長い年月の中で、生存に不利でない遺伝変異が集団内に蓄積し、遺伝的な多様性が生まれます。このような遺伝的多様性を遺伝資源として育種に利用するため、様々な努力が行われています。

 もう一つの方法は人為的に変異を誘発する方法です。これまで放射線、化学変異剤などによって多くの遺伝変異が生み出され、育種に利用されています。変異を誘発するといっても望ましい変異が生じる確率は低いため、多くの場合、数千から数万の個体へ変異誘発処理を行い、栽培し、採種後、後代で有用な変異体を選抜する必要があります。これは大変な時間と労力を必要とする作業となるため、効率的な選抜法の開発、変異率を高める変異誘発法の開発が求められています。

 人為的な突然変異誘発技術には近年大きな進展があり、ゲノム編集によってゲノムの中の狙った場所に変異を導入することが可能になりました。
 この画期的な技術によって突然変異育種は新しい時代を迎えることになりました。ただ、ゲノム編集は、改良しようとする形質に関する遺伝子の機能とDNA塩基配列が明らかになっており、標的とする遺伝子の変異によって生じる形質の変化が予想できる場合にのみ威力を発揮できるという制約があります。そのため、改良しようとする形質にどのような遺伝子が関与し、それらの遺伝子がどの様な機能を持つのか分からない場合、従来通り無作為に変異を誘発して望ましい変異体を選抜することは依然として有効な方法となります。

 このように育種における変異誘発技術の重要性が認識される中、日本は世界でも他ではなかなか見ることができないガンマーフィールド(茨城県常陸大宮市)で、放射線を利用した育種研究が長年にわたって行われてきました。また、日本原子力研究開発機構高崎研究所(現在、量子科学技術研究開発機構)や理化学研究所仁科加速器科学研究センターの研究グループはイオンビームによる変異誘発の研究において世界をリードしてきました。
 一方、国外ではイオンビームと同様に高線エネルギ−付与(Linear Energy Transfer, LET)で生物学的効果比(Relative Biological Effectiveness, RBE)の高い中性子線を用いた変異誘発が盛んに行われています。中性子線には電荷を持たず透過力が高いという他の高LET粒子線とは異なる特徴があり、一度に多くの試料を照射できる可能性があります。日本でもJ-PARC等の装置を用いて中性子線を実用的な変異誘発へ活用する試みが、産学官民の共同研究によって始められており、今後の成果が期待されます。

 地球温暖化などの気候変動が懸念される中、安定的な農業生産を維持するためには、環境に適応する品種の育成が必須です。

 このような育種を可能にするには生物多様性から得られる遺伝資源を活用するとともに、変異誘発によって利用できる遺伝変異の拡大をはかることが重要です。今後も農業の持続可能な発展のため、様々な量子線を活用し、効率的に遺伝変異を拡大する技術が発展することを願っています。また、私も量子農業協会の一員としてそういった技術の発展に微力ながら貢献できたらと思います。